薬剤師調査MMPR

Column : 連載コラム

掲載日:2013/12/04

vol.43 人と薬の羅針盤

日本における医薬分業の最初の例は、ドイツ人医師シーボルト(1796ー1866)によるものと言われています。

シーボルトはオランダ商館医として、1823年長崎出島にやって来ました。江戸幕府徳川家斉の時代です。
その当時長崎は西洋に開かれた唯一の窓口でした。シーボルトは長崎奉行所の許可を得て、長崎郊外の鳴滝に診療所と医学塾を兼ねた鳴滝塾を開きました。私の生まれた場所はその鳴滝です。私のドイツ薬学視察の原点はシーボルトにあるとも言えます。

私の卒業大学である長崎大学では、2014年度「多文化社会学部」というローカルからグローバルを目指す人材育成を行う新学部を開設します。
オランダ特別コースというコースがあり、オランダライデン大学への留学が組み込まれています。
江戸時代から近代にかけて日本はオランダを経由して西洋の文化や知識を吸収してきましたので、ヨーロッパを知る手がかりとしてのオランダだそうです。

シーボルトですが、彼はオランダ人ではなくドイツ人であり、彼の生まれ故郷はドイツのヴュルツブルクです。
シーボルトは鳴滝塾で診療を行ったのですが、そこには薬剤師が必要でした。なぜなら彼の生まれ故郷のドイツでは、1240年から医薬分業でした。そこでドイツ人薬剤師ビュルガーをシーボルトのもとで働く薬剤師として招聘しました。シーボルトが処方箋を書き、ビュルガーが薬を調合しています。
鳴滝塾で医と薬を分離して行った行為が、日本における医薬分業の最初の例ではないかと言われています。

シーボルトは鳴滝塾に薬草園を作り、日本各地から採集した薬用・有用植物を栽培しました。ヨーロッパの薬草も数多く紹介し、日本にない薬物が大量に輸入されることにもなりました。ジギタリスを最初に用いたのはシーボルトと言われています。さらに「薬品応手録」という手帳サイズの日本語の医薬品集を作ってそれを各地の医師に配っています。その当時のドイツの医薬品集が想像できます。
5月にじほうより「人と薬の羅針盤」というシーボルトにより伝えられた西洋の医学・薬学。さらに古代エジプトまで遡る西洋の医薬歴史紀行をまとめた本を出版しました。

エジプト、ギリシア、トルコ、ローマをまとめています。カラー写真750点超です。アマゾンで検索してみてください。「なか身!検索」で内容の概略が伝わるかと思います。薬局の待合室において欲しい本と思っています。今回は「黎明編」です。次は古代ローマから産業革命までをまとめたいと思っています。そのためにも・・・どうぞよろしくお願いいたします。

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